
存在-肯定
MAHO TAMARU田丸 真帆
[ Brooch ]
[ Copper, Brass, German silver, Stainless steel ]
金属に火を当てると、偶然の模様が立ち上がる。私はその姿を美しいと思った。しかし製作途中で出会った美しさは、本来、完成のために磨かれ、消えていくべきものだ。火を当てた金属と地金本来の色を対比させたこのブローチは、その迷いと矛盾の記録であり、私の考える“美しさ”を肯定し留めるためのものである。

銅、真鍮、洋白に火を当てると、表面に模様や変色が生まれる。
何一つ同じものがない偶然性を見せる、その金属たちの表情を美しいと感じた。
しかし、制作過程で生じるそれらは、通常“汚れ”とされ、最終的には削られ、磨かれ、消されてしまう部分である。

私にとっては全てが美しく、どの表情も好きだった。
しかし課題として提出するためには、私が美しいと思った部分を消さなければならなかった。
「美しい」と感じたものを残したままでは、「完成品としては認められない」。
磨かれ、整えられた美しさだけが完成とされること。
その事が酷く悲しく、そして悔しかった。

私は、どんな時でも自分のことを美しいと思っているし、好きだ。
しかし、他人の基準から見れば、そうでないことを理解している。
美しい肌、傷やシワのない手、細く整えられた身体。
そうした「磨かれた美しさ」ばかりが評価されることと、制作途中の“汚れ”を排除する構造は、私にはよく似ているように思えた。

美しいと感じたものを、完成のために磨き、消していく。
その過程を繰り返すうちに、私はその在り方を当たり前のものとして受け入れていた。
しかし、美しさの基準が一つであることは、どこか息苦しい。
だからこそ、何も整えていない姿と、手を加え整えた姿を一つの面で対比し、どちらも美しいのだと肯定することを選んだ。

私は自分を否定するために、この装身具を作ったのではない。
私が美しいと思ったものを、美しいまま肯定するために制作した。
磨かれなくても、手を加えなくても、そのままでも美しいものがあると信じている。
美しさとは、誰かに認められなくても成立する。
美しさとは、もっと自由であっていい。
私はこの作品で肯定する。